2007年2月14日水曜日
生野島 その1
12月に竹原から白水に渡り、更にフェリーで生野島を訪れた。
山頭火が訪れてからほぼ3/4世紀、そんな気配なんか全く見えない。
打ち捨てられたような蜜柑畑がぽっかり残り、高所から眺める多島海が
哀しいほど綺麗だ。
帰ってから調べると、山頭火は陶工の迦洞無坪を尋ねているらしい。
その無坪の著作を古本で見つけた。無坪は京都から家族を引き連れ、
生野島の同朋園という真宗の念仏道場にやって来たらしい。
それがどこにあったのか、SHIMADASにさえ載っていない。
国会図書館の蔵書を調べると、地元の郷土史家とおぼしき
福本清という人物が、その辺りの経緯を書いた「生野島物語」
という本があるらしい。
広島県立図書館の蔵書にもあるようで、そのうち機会があったら
読みに行きたいと思う。
それぞれの島にはかくの如く、私の知らない人々の歴史が
満ち満ちている。
そしてこれからも島は在りつづける。
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